ダンシングクロッキー – 浮き出される身体 – 終了

ダンサーの2人の配置と気配、黙々とスケッチする画家のタッチ、その中を行き来するサウンド。
それぞれがバラバラのようでいて全体としてコミュニケーションが成立しているという暗黙のルール。
ステージに上がる4人のチームワークは顔合わせで揃った時からうまくいっていたような気がする。

ライブペインティングとの共演はもちろんこれまでもあったけど、身体の動きをスケッチでシークェンスしていくという企画は初めて。岸本さんの筆のスピード感と潔さががとても心地よかった。

伊藤さんと京極さんの対比も興味深く、修練されてきたであろう身体のムーブが自然と次々と繰り出されていったフロア。

僕個人のアプローチは、「非個性的な工場製品=空き瓶etc.からポテンシャルを引き出して個性豊かなサウンドを鳴らす”楽器”に転換する」というもので、おこがましいけど敬愛する鈴木昭男さんにも連なって行けたらと妄想しながらのステージだった。
ピアノと非楽器のバランスはこの日は半々。
非楽器アンサンブルPOLY!での日頃の練習の賜物でもある。
voiceのサンプルはメンバーの西田有里さんと松岡咲子さんにも手伝ってもらった。
感謝。

ワークショップの参加者のみんなのスケッチもとても刺激的で豊かな一日となりました。
打ち上げは神戸らしく粉もんパーティで大満足。

お越しいただいた皆さん、神戸dance box 横堀 ふみさん、そしてスタッフの皆さん、共演者の岸本恵美子さん、伊藤愛さん、京極朋彦さん
ありがとうございました。

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写真:岩本順平 提供:NPO法人DANCE BOX 




「〈踊りの火シリーズ〉ダンシングクロッキー – 浮き出される身体 – @ ArtTheater dB KOBE (神戸)」
□2018年3月21日(水)
ワークショップ 14:00〜15:30 (受付 13:40〜) / パフォーマンス 16:00〜 (受付 15:45〜)
□出演:画家:岸本恵美子 ダンス:伊藤愛、京極朋彦 音楽:江南泰佐
□料金:ワークショップ参加+パフォーマンス鑑賞 ¥2,500 / パフォーマンス鑑賞のみ ¥1,500
□会場:ArtTheater dB KOBE (神戸)
神戸市長田区久保町6-1-1 アスタくにづか4番館4階
□お問い合わせ:TEL 078-646-7044 / FAX 078-646-7045


〈踊りの火シリーズ〉ダンシングクロッキー – 浮き出される身体 – 

2018.03.21 (水/祝)
「〈踊りの火シリーズ〉ダンシングクロッキー – 浮き出される身体 – @ ArtTheater dB KOBE (神戸)」

画家:岸本恵美子 ダンス:伊藤愛、京極朋彦 音楽:江南泰佐

HP紹介より
「神戸を拠点に活動するダンサー伊藤愛と画家岸本恵美子によって始動し、2017年にはワークショップや展覧会を神戸元町サンセイドウギャラリーで開催しました。
ダンサーは空間に身をおき、静かに身体の中から生まれてくる動きを待つことから始め、瞬間瞬間の動きを積み上げます。
その気配を頼りに描き手は紙の上で、自由に点や線で表現していきます。
それぞれが同時進行で行なうことで、独自の新たな表現を追求します。

今回は国内外で活動するダンサー京極朋彦も交え、劇場空間で〈ワークショップ〉&〈パフォーマンス〉を行います。」

POLY!での試みや最近の鍵盤楽器のアプローチも試すことができるのであれば。

〈踊りの火シリーズ〉ダンシングクロッキー – 浮き出される身体 –



□2018年3月21日(水)
ワークショップ 14:00〜15:30 (受付 13:40〜) / パフォーマンス 16:00〜 (受付 15:45〜)
□料金:ワークショップ参加+パフォーマンス鑑賞 ¥2,500 / パフォーマンス鑑賞のみ ¥1,500
□会場:ArtTheater dB KOBE (神戸)
神戸市長田区久保町6-1-1 アスタくにづか4番館4階
□お問い合わせ:TEL 078-646-7044 / FAX 078-646-7045
 ArtTheater dB KOBE




”耳”なのではない、しかも”身体で聴く”という”聴く”わけでもない。

人にならうということについて。

高橋悠治氏の『きっかけの音楽』に

「ならう とは文字どおり師に倣うこと
はじめから速いものは速く おそいものはおそく 」

とある。

武道の本や古代中国の漢文には「師にならう」ことについて「師の欲求するところのものを希求する」という話がよく出てくる。西洋思想においてもそのような視点はレヴィナスやラカンといった思想家が言及していると本で読んだ。当然ユダヤ教とも関係があるだろうし『旧約聖書』にもそうした話は出てくる。”倣う”ということもまた実は秘技なのだろう。

三味線の演奏時に調子を外してしまった時に素人は手の位置を見るが、名人はどこかを見るわけではなく背筋を伸ばすという旨の文章を他の本で読んだことがある。
少しここから跳躍するがピアノのレッスン時に「自分の出した音をよく聴くように」と指導されるが、「耳で聴く」という表現ではおそらく全てを言い表せないのだろう。自分の演奏に注意していると部分を見てしまいがちだ。「姿勢を正す」ということはまさに秘技であり巻物に書いてある奥義の第一歩なのかもしれない。
「耳で聴いた」から反応として名人は「姿勢を正した」ということも言えるかと思うが、さらに言うとおそらく耳に届く前に姿勢に違和感を覚えるのであろう。あるいは同時か。

”耳”なのではない、しかも”身体で聴く”という”聴く”わけでもない。

そしてこの”解釈”自体が不遜であるとも言える。

古典は奥が深い。

『きっかけの音楽』高橋悠治 2008 みすず書房

メディア”論”序論

15年のラジオDJ歴(民放、ネットラジオ含め)と大学での「メディア論ーラジオ番組制作演習ー」講義1年目を終えて。
メディアについて考える時、メディア”論”になる以前にまず今の自分に立ち上がる考えを記す。


アーティストや音楽家、ダンサーなどでなくても、「誰かに何かを伝えたい」、もっと手前の「話を聞いて欲しい」という気持ちの表れそのものが表現であろう。
それは家族の歴史であったり、自分の小学校の時の思い出であったり、小さい時に友達と作った秘密基地の話であったり、身体が痛くてしんどいという話であったり。そうしたものを「誰かに聞いてほしい」ということから立ち上がっってくるもの=表現として捉える。
地域にとってニーズのある情報、社会にとってニーズのある情報ということだけではなく、もっと個人的なものからなる表現を共有するということを通してコミュニティ・メディアがどんどん立ち上がっていっても良いと思う。
(もちろんそれらは従来パーソナル・メディアに落とし込まれることが多かったと思うが。それでもその延長線上に地域、ローカル・コミュニティで共有し公開できる場があることをイメージしている。この妄想の段階でのメディアの規模はあくまでぼんやりとしたイメージである。)

今年から大学で「ラジオ番組を企画・制作する」という授業を担当しているわけだが、「好きな音楽を自分なりに紹介する」ということで終わるのではなく、様々な表現の場に立ち会うこと、立ち会うことそのものも実は表現であるということを僕自身改めて考えようと思う。

いいなと思う書籍
「コミュニティFMの可能性」北郷裕美
「ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門」パブロ・エルゲラ


評論本の読み方

批評、評論といった本について。
そうした本をカタログとして読んでいることに気がつく。
ページに紹介されている音楽家や作品名、コンセプトをチェックしてて肝心の著者の考えを読んでいない。
研究者の知り合いと話していてどうも話がズレて行くと思ったら関心事が違うのだ。つまり著者の論に対して議論したい人と、そこに紹介されているアーティストについて話したい人と。

そう。そういう話。
プロフィール



-LIVE INFO-
2018_4_26京都
身体と音楽

-MUSIC ALBUM!-
new album
2014.11.18 release
enami Taisuke "f e r m e n t"
(Meister Musik)
最終fermentジャケット案 のコピー
・ゲスト・内容紹介
・試聴


2008.12.3 release
enami Taisuke "HILL"
(Meister Musik) sold out

・内容紹介


-RADIO NEWS!-
オトダマ・ラジオ(KBS京都ラジオ)は2013年9月をもって終了となりました。4年半ありがとうございました。
・オトダマ・ラジオ感想

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